Click here to read this biography in English
上原ひろみ
ひろみさんは毎日日記を書きます。
彼女の日記は紙とペンで書くものではありません。
彼女は毎日ピアノを使って彼女の考えや思いを音楽で表現します。
上原ひろみさんは日本の静岡県浜松市で生まれました。
浜松市は緑の山と青い海、そしてたくさんのお花と大きな建物が並ぶ町です。
彼女はこの色鮮やかな町で6歳の時にピアノを始めました。
ひろみさんのピアノの先生は彼女に“色”を使ってピアノの弾き方を教えました。
先生は音を大きく弾く時には楽譜に色鉛筆で赤の色を塗り、そして音を小さく柔らかく弾く時には“青色に弾きなさい“と言って楽譜を青に塗りました。
ピアノを始めてしばらくして、ひろみさんは色々な違う種類やスタイルの音楽を発見しました。それらはクラシックだったりジャズやロックンロールだったり。
そして更に彼女は一つの曲を弾くにも、音楽のスタイルを変える事によって、その同じ曲を色々な違う形で表現することが出来る事を学びました。
これは例えば一つの同じ絵を様々な違う色で描くことが出来るのと同じような事です。彼女は6歳の頃から自分で簡単な曲を書くようになり、練習を重ね、もっともっと色々な音の色を学んでいったのです。
ひろみさんが17歳の時、彼女はチックコリアという有名なジャズピアニストと出逢いました。彼は彼女のピアノを聴いてその才能に驚き、次の日に東京で行われた彼のコンサートで一緒に演奏するよう彼女に言いました。
その後も二人の交流は続き、後々二人はまた一緒に共演もしています。
これまでにひろみさんはスタジオでレコーディングした11のアルバムを発表しています。そのほかにも5つのライブのアルバム、そしてまた沢山の他のアーティストと一緒に演奏したものもあります。
彼女は言います。“時には一つの曲を作曲するのにとても長い時間がかかります。なぜなら私は一つ一つの曲が意味を持ったものにしたいからです。常に私は一つの曲が物語のようなものにしたいと思っています。そのため、その一曲が1つのまとまったものに出来上がるまで、何度も何度も書き直すこともあります。”
彼女はこれまでに、たくさんの賞を受賞しています。それは単に彼女がピアノの練習と努力を重ねてきただけではなく、常に自分の感情を音楽を通してどれほど豊かに表現できるかを追求してきたからです。
彼女の一番最初の先生は言いました。“音楽とは心と心の繋がりです。指と頭のつながりではありません。”
ひろみさんの音楽を知らない周りの人々は時に、彼女の音楽があまり面白くないものだと決めつけた意見を言うことがあります。彼女は歌を歌わないし、日本から来たピアニストは“指と頭を使って弾いているだけ”と思い込んでいる人々の意見です。しかし彼女は笑ってこう言います。“一度でも私のピアノを聞けば、その人達は気づくでしょう。私の音楽は性別や国籍を超えたものだってね。”
今や上原ひろみさんは世界でも名高い作曲家そしてピアニストの一人として知られています。彼女は振り返ってこう言います。“私がピアニストとしてここまでこれたのは、とにかく弾いて弾いて弾き続けたからよ。”
彼女の音楽人生の物語はまだまだ途中です。今日も彼女は世界中でピアノを弾き続けています。いつかあなたも彼女のコンサートに行って彼女の生の演奏を聴けることでしょう!
1979年3月26日生まれ。
Japanese translation generously provided by Migusa Anzai.
お家で聞いて楽しめる歌のコーナー
歌を聞きながら踊るのにピッタリな曲の紹介 “シューアラクレーム”2010
一緒に色々な楽器を弾くのにピッタリな曲の紹介 “マルガリータ”2012
静かに音楽を聴きながら想像を膨らましたり絵を描いたりするのにピッタリな曲 “古いお城、川側、森の中で”
見て聴いて楽しめる曲 “パッヘルベルのカノン”
子供と一緒に話し合いを出来る質問トピックのコーナー
ひろみさんはどうやってピアノの音を変えたのでしょう?
ひろみさんの音楽を聴いた時どう感じましたか?(どのように体が動きましたか?)
ひろみさんの音楽を聴いた時何か色を思い浮かべましたか?
あなたは何か一生懸命練習して、今出来るようになった事はありますか?
もしひろみさんの音楽が映画に使われるとしたら、どんな映画を思い浮かべますか?
ひろみさんの音楽を聴き彼女の生い立ちについて読んだ後、あなたは何を学びました か?
More information for caregivers
Innerviews: Hiromi by Anil Prasad